プロダクト

「一生一品」
いかに「おいしく」、いかに「香りが良く」、いかに「鮮やか」か。
すべてを追求した究極のお茶。

抹茶製法

伝統と革新を織り交ぜた茶の世界を創造する

抹茶は12 の製造工程に分かれます。孫右ヱ門ではすべての工程で厳しい管理規準を設け、高い品質を保つためどんな点でも妥協を許さない姿勢で茶業にあたっています。


  • 弊社所有の茶園が持つそれぞれの特徴を生かした最善の方法で栽培しております。

  • 弊社は所有するほとんどの茶園で、お茶摘みさんが手摘みで新芽を収穫しています。

    近年、京都でもお茶摘みが摘み採る「手摘み園」は数が減ってきています。

  • 収穫が終わると、摘みとったお茶の芽が入った籠の重量を計ります。

    昔ながらの手摘み園で見られる典型的な光景です。

  • "碾茶の場合、「蒸し」が大きなポイントとなります。

    「蒸す」といっても、ただ蒸気で蒸しているだけではありません。

    お茶の葉肉は1mm~2mm、そんなに薄ければ簡単に蒸しあがるだろうと思われますが、良質な碾茶を作るためには、いかに中まで均一に葉の表面に無駄な蒸気が残らないように蒸し上げるかがポイントで、実は相当高い技術が要求されるのです。

  • コンベアーで送りながら物質を乾燥させるためには、その上に風をあてて乾かすのが一つの方法ですが、植物の場合、蒸すことで粘着力が出るため、コンベアーで風を送ると隣り合った葉が重なり合い、質が落ちてしまいます。

    そこで大きな金籠の中に新芽を吹き込み、風で舞わすことで冷やしながら乾かすという合理的な方法を行っています。

  • 炉の中で一番高い温度の場所は200度、低い温度の場所は60度くらいになり、場所により大きな温度差があります。

    碾茶が乗る4段のコンベアーのスピードを調節しつつ、いかに芯まで平均的にきっちり乾燥出来るかがポイントです。

  • こなし方は碾茶の出来に大きく影響します。粉々に潰してしまうと碾茶は白っぽくなり、その上、味が落ちてしまいます。

    昔のように竹の製品で碾茶をこなすことが一番良いとされていますが、竹製品を使用することが少なくなり、専ら金網でこなしを行っています。

  • 抹茶として製品になるまでに、古葉などを取り除くのはもちろんですが、葉の葉脈まで取り除いてると聞くと、お客様はみな驚かれます。弊社では抹茶を作る際は、葉の柔らかい部分だけを使用しています。また、品評会に出品するようなレベルの茶になりますと、製造の際に折れたものや黒ずんでいる碾茶など、完全なもの以外はすべて丁寧に取り除きます。

  • 現在は使用されなくなりましたが、江戸時代には碾茶の取引には茶壷が使われていました。

    濃茶用の碾茶袋を茶壷の中心に入れ、その周りに薄茶用の碾茶を敷き詰めて運搬、取引をしていたようです。

  • 江戸初期から230年間もの間、各地の茶の産地から駕籠に載った茶壷が、千代田城(江戸城)の将軍家をはじめ、諸国の大名家へと運ばれていました。

  • 碾茶を石臼で碾いたものが抹茶です。石臼で碾いた抹茶は、粒子がとても細かいです。

    石臼が重いほど良い抹茶が碾けると言われる問屋さんもいらっしゃいます。

  • これが800年の歴史が培ってきた、宇治茶の伝統的な工程です。上記のような工程を経て、最高品質の京抹茶が作り出されます。


茶壷道中

お茶壷道中は、正式名称を「宇治採茶使(うじさいちゃし)」といい、京都府宇治市の名産品である宇治茶を徳川将軍家に献上するための茶壷を運ぶ行列のことです。

毎年4 月下旬から5 月上旬に行われ、責任者たる徒歩頭(かちがしら)が輪番でその任を務め、茶道頭や茶道衆(茶坊主)のほか茶壷の警備の役人など、多い時には1000 人を超える大行列となったといいます。

道中の総責任者は、宇治の代官の上林家が代々務めていました。

この御茶壷道中は、将軍が飲み徳川家祖廟に献ずるものであるため、摂関家や御三家の行列といえども、門跡並びの際は道を譲らねばならなかったそうです。

行列が通る街道は、前もって入念な道普請が命ぜられ、行列を恐れていた沿道の庶民の多くは、茶壷の行列が来ると戸を閉めて閉じこもっていました。そんな茶壺の行列の様子が、童歌のずいずいずっころばしの歌詞となっていますが、ご存知でしたか?